☆元号の話あれこれ(久野)☆【トレッペ講師陣より】【トレッペの勉強のこと】


こんにちは。

「怒られなくても、ひとりで勉強ができるようになる教室」トレッペ教室長の内海哲平です。

 

トレッペの得意なことは、「勉強を好きになってもらうこと」「毎日継続して自主学習できるようにすること」「ずっと昔につまずいたところを見つけること」です。

 

このブログは毎週火曜日(プラス気が向いた日)に更新されます。

よかったらのぞいてみてくださいね。 

 

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

つい先日、平成の次の元号が“令和”になることが発表されました。

 

 

 

平成は430日まで、51日から“令和”です。

 

 

 

今回は元号に関する話をあれこれ紹介したいと思います。

 

 

 

元号は日本で使われる年代の表し方です。

 

 

 

中国の古典から一文を選び出し、

 

 

 

さらにその中から漢字二字を抜き取って組み合わせた単語を元号にしています。

 

 

 

今回の令和は、日本で元号が使われるようになって以来、

 

 

 

初めて『万葉集』という日本の書物から選定されました。

 

 

 

もともとは元号は中国で使われていましたが、

 

 

 

聖徳太子が小野妹子などを遣隋使として中国に派遣し、彼らは中国に留学して文化を学んで日本に帰ってきました。

 

 

 

そうして始められたのが元号です。

 

 

 

日本で一番最初の元号は「大化」で、

 

 

 

西暦645年の大化の改新の政策の一つとして元号が定められました。

 

 

 

そもそも日本は天皇の先祖が神様で、その神様が日本を造ったと考えられてきました。

 

 

 

そのため、天皇は日本の土地と人民・時間と、この世の中のすべてを支配していたのでした。

 

 

 

元号の制定は、まさに時間と空間を支配する天皇の大権だったのです。

 

 

 

現在は国の行政を司る内閣府で決められるようになっていますが、

 

 

 

最初の元号の大化以来、元号は今日の2000年代まで1400年にわたって伝統的に受け継がれてきました。

 

 

 

前にも紹介したように、基本的に元号は明治以降は天皇が変わる時に、同時に変わることになっています。

 

 

 

しかし、それ以前は人々が安全に平和に暮らしていける願いを込めて、

 

 

 

飢饉などがあった時は、

 

 

 

“この元号は災いがあってよくないよね。次の元号に変えて、良い年にしましょう!!

 

 

 

といった感じで変えていました。

 

 

 

ちなみに、室町時代の末期の戦国時代には、

 

 

 

室町幕府の第13代将軍足利義輝の時に「永禄」、

 

 

 

その弟で第15代将軍義昭の時は「元亀」、

 

 

 

そしてその義昭を京都から追放して室町幕府を滅亡させた織田信長は「天正」に改元するなど、

 

 

 

その時に政治を司っていた人ごとに変えられていました。

 

 

 

このように元号は年代の表し方や天皇制との関係ばかりではなく、

 

 

 

その時の世相や人物を反映したものでありました。

 

 

 

さらにちなみに令和元年はお正月と祝日の天皇誕生日がない、珍しい年でもあります。

 

 

 

令和が皆さまにとって、良い元号となりますように☆彡

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

勉強は青春だ!!

勉強はつらい修行ではありません。

 

まずは一緒に勉強を楽しみましょう♪

階段式個別指導教室トレッペ

教室長 内海 哲平

TEL042-400-7573

お問い合わせメール☆http://www.treppe-tama.com/お問い合わせ/     

Facebookもやっています☆https://www.facebook.com/treppe.tama